こうなりたいと願ってた事が、今ぼくの前にひろがっている。
それまで少し煩いと思っていた店内の音楽も人のざわめきも嘘のように消えて、小さなぼくだけの宇宙の中に漂っているようだった。
それは心地よい浮遊感だったが、茉莉を見てから続いている早鐘のような動悸が少しぼくを落ち着かない気分にさせていた。
「大丈夫・・・」
ぼくはアイスコーヒーを飲みながら2時間程前に飲んだ薬の数を思い出している。
「12錠・・」
もちろん一度に飲む量は2錠までだ。
でも、最近は10錠以上飲まないと落ち着かなかった。
「どうしたの?大人しいのね」
そういって悪戯っぽくぼくの顔を覗き込む。
「・・・え?・・い、いや・・・」
テーブルの上にはこの前茉莉に渡した小説の入った紙袋が置かれている。
小説の感想を聞きたいのはもちろんだが、もう一つどうしても聞きたい事があった。
「クーラー効いてるのかな?」
「あ・暑い?」
「ちょっとね」
「此処は陽が射すから・・・」
「う・上着 ぬ・脱いだら」
ぼくは茉莉の着ている薄い草色のジャケットを見た。
その時、茉莉の顔がちらっと翳ったように見えた。 その表情が何故かぼくの中で引っかかった。
何でもない雑談。
今まで想像もできなかった水商売の世界。 茉莉はなんのくったくもなくぼくに話してくれる。
そんな話をしている茉莉との今の時間がぼくには違う世界のように思われた。
「あ・あの・・・」
「あっ・・私のことばっかり話したね・・お水の世界は興味ないか・・っていうより早く感想が聞きたい?」
茉莉はちらっと封筒を見た。
「か・感想も そ・そうなんだけど・・・き・聞きたい事があって・・」
「ん、何?」
ぼくは何故茉莉が電話をするようにぼくに何度も言ったのか、その理由が聞きたかった。
ぼくのようなアルバイト学生なぞ水商売をしている茉莉にはどうでもいい存在のはずなのに・・。
「うーん・・云わないと駄目?」
その疑問を話すと茉莉はちょっと困ったようにぼくを見た。
「自惚れていてくれたら良かったのに・・」
そう茶化すように云って茉莉は少しのあいだ空に眼をおよがせていた。
「うーん・・・そんなにたいした事じゃないし・・ま、いいか。笑っちゃ駄目だよ。」
「う・うん・・・」
ぼくは小さくうなずいた。
少しのあいだ下を向き、そしてぼくを見た茉莉の顔は、何故か儚げに見えた。


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