でこぼこだらけの舗装道路の上をぼくは汗をぬぐいながら歩いた。
東京を出て6時間余り、疲れているのが自分でも分かった。。
左右に緑の水田が広がってはいるものの容赦なく照りつける太陽は半端ではなかった。
しかし苦痛だと思わないのは何故だろう。
・・・匂いやな・・・
微かに吹く風の中に水田の匂いがする。
その匂いだけでぼくは歩いていられると思った。
ぼくは水田への引き込み水路が交差する場所で立ち止まった。
右の方に神社が見え、その先に橋があった。
・・・もうすぐや・・・
引き込み水路を左に曲がる。
細い山道につながるあぜ道を数分歩くと小高い山への登り口にでる。
その前に小さく平らな草地があった。
ぼくはそこに腰を下ろした。
思ったとおり何も変わらない風景がそこにあった。
別に特別な風景ではない。
田舎に行けば何処でも見られるようなそんな所だ。
しかしぼくにとっては大切な場所だった。
子供の頃に遊びまわった思い出の一杯詰まった場所。
神社の下にある川で泳いだ後、此処に来てトンボや水路にいる小魚を追いかけた。
疲れて寝転ぶと蝉時雨が襲い掛かり、それを聞きながら満足して青空を見つめた。
何もかも光り輝いていた頃の夏の風景。
母の里だった。
暫くぼくは山からのひんやりした風に吹かれた後、水路に降りていった。
水草が時々引っかかりながら流れていく。
水路にそって繁っている草に糸トンボが止まっていた。
細くちいさな羽をたたんで緩やかな風に身を任せている。
ぼくは糸トンボが好きだった。
風にまかせている様子が頼りなさげに見える。
その儚さが好きだった。
ぼくは両手でそっと糸トンボを囲うように捕らえる。
呆気ないほど簡単だった。
ゆっくり手を開く。
それでもトンボは今の状況が分からないのかじっとしている。
フッと息を吹きかけた時、初めて気づいたように自由な空間に飛び立っていった。
ぼくは立ち上がるとゆっくりとあたりを見回した。
少し陽が翳っている。
この辺り特有の驟雨があるのかも知れない。
ぼくはゆっくり山の方に歩く。
古い木の真ん中辺りに穴が開いている。
朝早く来ると朝霧に濡れた穴に必ず甲虫類が集まって来ていた。
ぼくはそっと木肌をなぜる。
その時少しだが細い雨が降り出していた。
ぼくはこの雨が少しの時間で止むのを知っている。
木の下に隠れながらぼくは霧雨が風に流されるのを見ていた。
鮮やかな夏色の風景が一瞬墨絵にかわる。
湿った匂いがぼくの胸を熱くした。
・・・雨が止んだら帰ろう・・・
できるならこのままこの場所に留まっていたかった。
しかしぼくは過去にとらわれていてはいけない事も知っていた。
その二つの交差する想いの狭間にもう少し浸っていたい。
ぼくは幾度か鼻をすすりながら陽が射してきた懐かしい風景を見つめていた。


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