ぼくはベンチで汗もぬぐわずにAさんから渡された本の表紙を見つめた。
『遠藤周作選集  沈黙・他』
「これが謎解きになる・・・」

Aさんは少し苛ついて待っていたぼくにこの本を持ってきてくれたのだ。
小説のタイトルを読みAさんを見る。
「きっと解決につながると思うよ。ぼくが答えるよりもね」
「こ・これが・・・?」
「ほんとは一冊だけじゃなく、彼の作品を何冊か読んでみればいいんだけどね」
「は・はぁ・・」
『沈黙』
キリスト教弾圧が厳しさを増す中、自分達の宗教を隠す為にあるものは地にもぐり、あるものは弾圧にまけ転んでいった。キリスト教弾圧時代の人間模様を描いた名作だった。
しかしこの小説がどうして・・
「一度読んでごらん・・必ずヒントがあるから。」
そう言い、ぼくの顔を見たAさんの表情には厳しさがあった。
ぼくは頷くよりしかたなかった。
しかし、これを読む事がぼくがおかしている間違いを分からせてくれるのだろうか。
ぼくは割り切れない思いを隠し、○○出版社を後にしたのだった。
遠藤周作は第三の新人と呼ばれるグループの作家で、他に吉行淳之介、島尾敏夫、近藤啓太郎などがいる。
小説は大好きだったし、ジャンルを越えて乱読派のぼくだったが、遠藤周作は未読だった。宗教が絡んでいる事が読んでいない一番の原因かも知れない。
読みたくない本を読む事ほど苦痛なものはない。

ぼくは浅く座りなおすと、空を見上げた。
雲ひとつない夏空は眩しいほどの輝きを放っている。
ぼくは夏の青空が好きだった。
見ているだけでその輝きの中に吸い込まれそうな錯覚に陥る。
その感覚も好きだった。
どのくらい空を見ていたのだろう。
ぼくの座っている場所が暗い影に覆われている。
ぼくはあたりを見回し、対岸を見た。
対岸にはこのあたりで一番高いビルがあった。
太陽が少しそのビルに隠れている。
他の場所にはまだ強い夏の陽が射しているというのに、そのビルの為にぼくがいる場所だけが影の中に入っていた。
「あの絵みたいやなぁ」
ぼくは高校の時に見た一枚の絵を思い出していた。
南イタリアあたりの風景画だったと思うが青空と白い家が印象的でぼくの中に残っていた。
強い太陽に照らし出された白い家々・・・そして何処までも遠く青い空。
そこにできる濃い翳り。
「青空と白い家か・・」
でも、ぼくが惹かれたのは表現された輝きだけなのだろうか。
あの絵を見て感じた寂しさは?
輝きの中にできる当然の影。
その翳りにぼくは引かれたんじゃないのか。
ぼくは今までそのように考えた事がなかった。
夏の主役は光・・その輝き。
「・・・・・・」
ぼくの中でいま過ぎり、風のように消えていった思いは何だったんだろう。
ぼくはベンチから立ち上がった。
軽い眩暈に似た感覚があった。
ぼくは首をふった。
一瞬心をよぎり居座りそうになった思いから目を逸らせた。
ぼくは荷物を持つと、そこにできた透明な影の場所からゆっくり光の中に歩き出した。

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